できることはやるだけやったと言えますか?ってことなんだと思う

冷たい雨が降り続ける京都です。

先日までの紅葉はすでに過ぎ去り


あっという間にサンタの季節です。


ラボも季節ごとにデコレーションを変えています。通る人たちが立ち止まり見てくれて、時には写真を撮ってくださる方も。デコ担当の私は気合が入りますです。

私のデコポイントはさりげなさ。

昨日、スタジオAsで指導するA-yogaインストラクターの認定講習が最終日を迎えました。私は午後から顔を出し。今回、初めて私がメイン講師ではない養成でした。

10年以上、10年近く認定者として、そして養成アシスタントとして経験を積んできた3名の講師が試行錯誤をしながらたどり着いた場所。


私は最終日の状況を目の当たりにして、腹をくくったのは確かです、苦笑(なにも言わまい、、、と思って行ったけど、言わずに終えることはできず、、、)

決して頑張っていなかった訳ではない、努力もしなかった訳ではない。でもなぜ1年という長い養成を通して、自分の中に新しい自分と出会うきっかけを作ることができなかったのか、、、

それを止めていたのは何か?

周りの環境のせいにしていた自分はいないか?

全てを主体的に動いていたか?

最後の最後で「できるかできないかわからないけど、、、」という言葉が出た段階で、まだまだ先は長いねって言ってしまった。

「できる出来ないは誰にもわからない」

結果を気にして自分ができると思うことしかやらなければ、何が手に入るのだろうか?

「やった人にしかわからない、見えない景色」

「やるかやらないか」

「やりたいかやりたくないか」

やれない理由はいくらだって見つかる。

私だって博士論文から逃げる言い訳はいくらでもある、苦笑

でもやりたいし、やると決めたからやるしかない(時間を作るしかない)のである。

今、私がメイン講師をしている京都養成の課題の解答用紙。


課題はみんな同じ

でも中身の質が一人一人かなり違ってくる。

余白が多い人、余白がない上に、足りなくて追加の紙を使う人。

何がその違いを生むのか?

なぜ私はそこまでやらないのか、、、を考えて見たらいい。

1課題にあと5分考える時間を費やしたら、それを積み上げたら、1年後のその人はとんでもないところに辿り着いているだろう。

努力は人を裏切らない

結果は誰にもわからない。でも努力しなければ結果も現れるわけがない。

結果を手に入れる人は、それだけの努力を陰ながらしている。

今まさにそれを目の当たりにしている。

「そこに辿るつくために自分は何ができるのか?」

その一言に尽きるのかもしれない。

なにが起こるかは誰にもわからない。でも結果とは、努力をし続けた人にしか見えないものなのだとつくづく思う。

だからその努力を自分ができていないのであれば、今の結果で満足することを覚えればいい。

それが不満なら、まずは努力をするとはどういうことか、考えて見たらどうだろうか?

さて、自分に言い聞かせて、、、今夜は論文に向かいます!

あなたはやるだけのことをやったと言える経験を積み上げていますか?

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