見た景色、見える景色、見たい景色

情報にも色がある

情報にも匂いがある

情報にもバランスがある

情報にも動きがある

情報にも流れがある

情報にも温度がある

情報にも音がある

だからこそ、その情報は全ての人それぞれの見え方があり、それぞれの見方があり、それぞれに違う意味を持つ。

よく立場が変われば解釈が変わるというが

それはきっと立場が変わったから変わるのではなく、経験の環境が違うから、情報が違って感じられるのだと思う。

同じものを共有していても経営陣と雇用者の情報の感じ方が違うのは、経験の環境が違うのだから、その環境下で見えているものから紐解いていくしかない。

それぞれの景色から見えているものはなにか、、、を。

どちらかに強要するものでもなければ、どちらか一方が絶対的に正しいわけでもない。

「共感する」

というのは、おそらく同じような経験をして、情報の知覚次元が非常に近いから起こること。

それはいいことでもあり、ある種想定内の景色しか見えない。

情報の受け取り方、情報の知覚的処理から見えるその人の脳の環境。

動きも同じ。

情報をどう受け取っているのか

どう感じ取っているのか

右手をあげて

を、相手はどう受け取ったのか。

右足を前にあげてください

を、相手はどう理解したのか。

おー、そうきますか!という反応をする人もいる。

それがその人が情報から感じ取った事だから。その情報の解釈が違うなら、同じ景色が見えるようにきちんと情報の枠を決めればいい。

体も情報もどちらも動きがあり知覚が関わること。

何も違わない

という事は、知性は体であり

体は知性なのかもしれない

そんなことを思った夜

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中