病院訪問から浮かぶ景色
京大病院に来ています。
基本、病院は一番遠い場所です。
なんでも気合と睡眠で治ると思っているタイプの人間です。
でも何よりも小さなサインを見逃さず、コトが大きくなる前に予防、回復が出来ていることが病院遠い存在でいられる大きな要因だと感じています。
学校体育の変化の余波
多くの人が自分の体とどう向き合えばいいのかわからない、と言われます。
幼少期の身体運動経験が大きく影響をしていると同時に、学校体育の役割が全う出来ていない事も感じます。
体育の時間にこそ教えるべき体との向き合い方
体の基礎知識
体を通してみる自分との時間
そういうことを体育が伝えられるはずなのに、スポーツを教える時間になってしまい、マット運動や校庭を走り回ったり、隠れたり、他者との関係性の中で動くという基本的な事がどんどん減っていく。
動作を通して他者との関係性を学ぶ
他者との関わりでしかこの世の中は生きていけないのに、その他者との関わり、力関係、力加減を学校で学べる唯一の科目とも言える体育がその役割をしていない、と感じる現実。
体育が得意だったわたしにとっては、体を動かす事、なにか新しい動きを習得することは容易だった。
だからいつも出来ない人のお手伝いをするのが役割だった気がする。そうやって人は人との関係で自分の弱さを克服し、自分の強みを分け与え、社会に出た時にその経験が役に立つのだと思う。
親でもなく、教師でもなく、塾の講師でもない、同年代の仲間(子供同士)とのやりとりこそ子供の頃に大切にする事なのでは、、、と。
出来ない事がいけないのではなくて、チャレンジしてみようと取り組まない事は残念だよね、って。やってみようよって。同年代の子供同士だから伝わるものがある。
体が語るストーリー
人の動き、体を触って整える中で、動きそして私の手が感じ取るものが沢山ある。
もちろんその受け取り方は私の主観が入って来る。あくまでもわたしがそう感じ受け取ったと言うだけで、それが本当かどうかは本人にしかわからない(本人でさえわからないかもしれない)
レッスンをする上で気をつけている事。
わたしはあなたの鏡になるということ。
わたしを通して相手の方が自分の今に気がついてくれたら、と。
言葉を通して
質問を通して
動きを通して
わたしの手を通して
「あ、こんなところが」
「あれ、これはなにかな?」
「あ、こんな自分がいる」
忘れていたと思っていた事が浮かび上がる事もある。
整理できていたと思う事が実はずっと心の奥底に残っていたと気づく事もある。
わかっていたけど蓋をしていたものもある。
わたしはただじっとその人が鏡に映ったそれと向き合うか向き合わないか、どう向き合うのかを待っている。
時には光をあて
時には影を作り
時には扉を閉じ
時には扉の位置をそっと示してあげる
社会的地位と身体特徴
昨日の会話のなかで、「社会的に成功をしている人に特徴的な体の性質ってあるの?」という話になった。
個人的には社会的な地位というよりも、やはり男女差は大きいのではないかという実感がある。
女性は配偶者/パートナーとの関係性が体の状態に大きく影響を与える感じがある。
男性は幼少期の経験(親との関係、学校/組織での人間関係)が今の体に少なからず影響を与える傾向にある気がする。
動きを通して、施術を通して、そこが今の状況から抜け出せない可能性があるならば、そこにアプローチをかける。
人の体は
Mind, body, spirit
これを分断することはできない。
全ての細胞が見て来たこと、感じてきたこと
それを動きを通して自分と向き合う方法を学ぶことができれば、きっと健康な日々をより多く過ごせる人生を手に入れる事ができると信じている。
5月から初東北開催、仙台でのA-Yoga認定インストラクターベーシックコーススタート(2、3枠受講枠に空きあります)
9月からは東京で久しぶりに養成コースを開催します。
私がA-yogaを通して目指すもの。
自分との向き合い方
他者との関わり方
社会の中で幸せに生きていく
そんなことを動きを通して一緒に歩んでいける仲間、お待ちしています。