動きを指導する人にとって大切なこと

昨日から急に冷え込み始めた京都です。
雨も降り、鴨川沿いの桜はほぼ散ってしまいました。

昨日は月末に河原町二条にオープンする新しい鍼灸治療院&トレーニング施設「ACE Treatment Labo」(株式会社リーチ・セラピスト 森本貴義、田坂和子、山本邦子)の内装工事の現場にご挨拶にいった流れで、四条のあたりをうろうろ。

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近々引越しをするスタッフのプレゼントを購入して、ふと「そういえば、、、」と思い、トレーニングスタジオImprove Kyotoの岡君に連絡。「いつか行くね、、、」と言いつつなかなか立ち寄れていなかったので、ご近所にいたからご挨拶に。ランチをしながらいろいろ話す。

そして昨夜突然「明日行きます」と、GRIT NATIONのオンちゃんこと高谷温子ちゃんからメッセージがあり、夕方に彼女がラボに顔を出す。

そして昨夜はサンディエゴの川尻隆君からもある案件のメールがはいり。

若い三人(少なくとも私よりは、笑)との会話から、そして今日の1日のレッスンの中での会員様との会話から「動き」ということ、「動きを指導する」ということについていろいろな言葉が浮かぶ。

なんちゃって指導者という存在

今日は朝7時30分からパーソナルレッスンがスタート。
そして最後のグループレッスンの終了は18時45分。
(頭は疲れ切っているけど吐き出さないと休めない気がするのでどうにかまとめてみます)

今日も一日様々な会話が交わされた。

人の動き、健康と幸せということに真正面から向き合う若者3人との会話を通して、共通して感じたことは、「どうすれば正しいこと、よりよい情報を伝えることができるか」という問いかけ。

なんちゃって、、、が多い今の世の中。

週末のセミナー、数回のセミナーで指導することができてしまう現実。

それが悪いわけではない、それを選択するのはお客様になる人たち。

でも現実として、怪我をした、改善がなされない、指導に疑問がある、、、という理由でやめてしまう、またはほかのところを転々とする人たちがいる。

医療難民、フィットネス難民的な人が多いのも現実。

そういった現実があるから、どうすれば怪我をしないだけでなく、効果の高いサービスを提供できるか、、、を常に考える。

教育・育成システムをどう構築するか。

情報の発信方法、発信レベルをどうするか。

「セミナーを受講する=教育」ではない

アスレティックトレーナーの役割の一つとして「教育」がある。

教育が人の成長には必要不可欠である。

与えるばかりでなく、その人が自分で情報を精査し必要な選択ができるようになるように教育を施すことが大切。そしてその先には自立がある。

トレーナーやインストラクターといった人たちが、お客様を教育すること以上に、トレーナーやインストラクターそのものが適切な教育を受けることが必要になる。

セミナーが乱立する今の世の中。
様々な手法、流派が存在する今。

どれだけの人たちが動作の本質を理解しているのか、、、といつも仲間とは話す。

セミナーを受講すること、何かの認定をとることが教育と思っていたらそれは間違いだ。

学びと教育も同義ではない。

教育とは人を育てることであり、知識を増やすことではない。

文部科学省の教育基本法によると
1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

と、書かれている。

人間の「学び」という行為の先に教育があるという考え方もある。

なぜ学ぶのか、それは人格の完成を目指し、社会の形成者として生きていくため。

動きを指導する人に大切なこと

今の自分が行っている活動・仕事は社会のためになっているだろうか?
社会のためにならない仕事などない。
すべてが何かの誰かの役に立っている。

が、よりよくそれが社会のためになるには、自分は何を学び、どういう教育を受ける必要があるのか、を常に考える必要があると考えている。

大人になって社会に出てからは、学校という教育の場が違う環境になる。
信頼し、尊敬する師を持つことも一つかもしれない。

自分の好奇心を満たしてくれる学びの場を選択するのも一つかもしれない。

いろいろな形がある。

でもどのような形を選択しようと、一番大切なのは「自分自身を知る」ということときちんと向き合っているかどうか。

学びを繰り返しても、自分と向き合えていない学びほど邪魔になることはない。

小手先の技術

聞こえのいい言葉

それらしく見える、聞こえる情報

あなた自身の中でそれをきちんと理解し、体感し、繰り返し繰り返し掘り下げていくことで、言葉が変わる。そして学びが昇華していく。

どう情報を伝えるか、物事を説明するときにどういう言葉を選択しているかを聞くとだいたいその人の今の状況が見えてくる。

理解度
熟練度
自己との向き合い方
他者との関係性

同じ言葉、同じ表現でレッスンや指導をしているトレーナーやインストラクターに学んでいるのであれば、危険信号だと思ったほうがいい。自分の学びを深めてはいないという一つのサインであると私は思っている。(私も気を付けないと、、、)

動きを指導するとはそう簡単なことではない。
100人いれば100パターンの体と心がある。

その100パターンに絶対的に共通するものと、一人一人の個性となるものがある。
それをまずしっかりと理解していることが大切。

その理解はまずは自分から始まる。

自分の外の感覚(外受容)と自分の内の感覚(内受容)

関節は勝手には動かない

筋肉も勝手には動かない

動作とは何か、、、

それをとことん考えること。

動きを指導する人間が本当に学ぶべきことはその質問(動作とは何か、、、)の先にあるものだと感じた数日。

苦しくたって、逃げ出したくたって、自分自身と向き合えることはとても素晴らしいこと。

「私が本当に心から望んでいることは何だろうか?」

それをまずは指導者自身が問いかけ続けること。

その問いかけと探求こそが、指導をするときに何よりも自分の力になってくれるはず。

その問いかけをさせてくれる、してくれる人から学ぶことが大切。

#KyotoMBMLabo
#指導者として
#アスレティックトレーナー
#自己探求のすすめ
#Ayoga

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