Don’t be generalized, be specified and personalized.

 

パーソナルトレーニングというけれども、個々のニーズに沿ったというけれども、本当の意味でパーソナルであるということがどういうことなのか、、、。

 

あ、単純にパーソナルで(一対一で)を意味しているならそこはここの議論にはあてはまらないけど、「パーソナル=一人一人に合わせて対応する」が今回の話のポイント。

 

 

多くの人がspecified and personalized(特定であり個別化の)思考とGeneralized(一般化)の思考の切り替えが難しいのだろうなぁ、、、と感じることがある。

 

Specified and Personalizedであることは、指導する側の思考の柔軟性と相手との関係性の築き方が大きなポイントとなる。

 

相手を見る

相手を知る

表面的なものだけでなく、その人のNon verbal(非言語)動作、Verbal expression(言語表現)、Reaction(反応)、Facial Expression(顔の表情)、そしてAction(行動)などすべてを丁寧に包括してみることが大切になる。

 

Aという問いかけに、どういうReactionをその人はするのか。

Bという問いかけで、Aと同じReactionをするのか、それとも全く違うReactionが起こるのか。

 

Aという出来事にぶち当たった時、自分にその原因を探すのか。

Aという出来事にぶち当たった時に、相手に、そして周りの環境にその原因を探すのか。

 

自分ができない理由をどこに指さすのか?

自分自身?

相手?

仲間?

自分の育ってきた環境?

親?

子供時代?

今の仲間?

先生?

終わった過去の出来事?

 

様々なヒントがそこにある。

 

人の動きとはそういったすべての刺激とそこから起こる反応という結果である。

 

もし動作という結果を変えたければ、刺激という入力情報を変える必要がある。

 

その見極めをすることこそが、Specified and Personalizedなものへとつながる。

 

今起こっていることは、自分自身が環境との相互交流により作り出したものである。

つまりその作り出した環境で同じ行動をそのまま続けるのか、

それとも少しでも違う結果を生み出すために、少しの環境的変化を自分自身で作るのか。

新しい環境や取り組みは、不確定要素が多いから脳はその変化を怖がる。

そこで怖がって後ろにひいてしまったら、何も変わらない。

指導する人は、相手のそのちょっとした反応を見逃さないことが大切。

「あ、、、」

そこに突破口がある。

「今だ!」とそこで適度な新しい刺激を入れてあげる。

 

動作も思考も同じ。

 

今あるつまづき、問題、痛みはいったい何によって作り出されたのか。

必ずその人の中、その人の環境、その人の環境への反応の中にその答えはある。

相手の中にはない。

相手にあるとすれば、あなたの環境を作り出した一部として存在し、今の結果の一端を担っていた可能性もゼロではないということ。

 

日本は「Generalized」を得意とする。

社会ももちろんですが、学校教育はその最たるものだと感じている。

一般化が悪いと言っているのではない、その教育課程を過ごしてきた多くの人間にとって、特定であり個別性の高いものへと思考をシフトするのは難しいということを経験上たくさん見てきた。

 

どこかで平均化されたものでものをみて、

物事はこうあるべきで物事を考え、

誰かが経験をしたことが、おおかたみんなも同じ経験をしたと考える。

誰かが言ったことを、おおかたみんなもそういう意見だと認識する。

人は自分と同じ意見を持つ人と近くなる。

そしてそんな自分は、自分の周りの近しい人間5人を平均化した存在だともいわれている。

 

「類友」とはよく言ったもので、類友だから集まるのではなく、集まってそこで平均化されたものが自分になるから、外から見たら「みんな似てるよね」となるのかもしれない。

 

自分の成長を望むなら、「よく一緒にいるけど、全然似てないよね」を目指すことがポイントなのかもしれない。常に刺激を変え続けること。

 

何を見て何を語り何に接するのか。

 

自分の周りにどのような人たちを置くのか。

自分が近しい人間の5人の平均化された存在だと思ったら、自分がどんな人たちと過ごしたいのか、よくよく考えると思う。

 

自分はSpecialであると考えること。

自分のPersona(ペルソナ=外界に適応するための表面的・社会的人格、ある人物像)をより詳細に、感情をも含めながら、そのペルソナは私自身だからこそであるということを思えるかどうか。

 

Generalizedが必要なこともたくさんある。

 

ただ動作教育の世界で、動きを通して人の人生を豊かにする場において、Generalizedな考え方ほど成功への阻害要素になることはないと思っている。

 

指導者自身が、自分はスペシャルであるということを受け入れることがすべての始まりな気がする。

 

今週末は仙台で養成4回目。

 

みんながどんな1か月を過ごしてきたか。

Generalizedにも対応できて、Specializedを深め広げることができる。

そんな人に育ってもらえたらうれしい。

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